最愛エアデール「テディ」(RIP) がくれた犬猫万歳生活。 テディの愛猫ズ「トビー&ゾーイ」と ケリーブルーテリアズ「ルーイ&さくら」と暮らす雑多な日々。Fukuoka → Michigan → Washington DC → New York → Tokyo → London
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イタリア:ナポリ
ポンペイツアーから帰って来たところ、出港までまだ3時間以上余裕があったので、港から出てすぐのナポリの街に出かけることに。

ヴェニス同様「ナポリを見てから死ね」と言われるナポリですが、今現在では「ナポリが死ぬ前に見ておけ」と言われるとか。 と言うのも、ゴミ処理場の建設が追いつかず、2007年以降未回収のゴミで溢れかえる汚物の街として知られるようになったからです。


幸い私達が訪れた時には未回収のゴミの山は見当たりませんでしたが、街中の壁と言う壁が落書きされていたのが目を引きました。


 


イタリアは北半島に富が集中していて、ナポリのような南半島部分は貧困層が大きく、失業率も犯罪率もその分高いと言われます。 街中を歩いていると、何もせずにたむろしている若者の群れが多く目につき、街の汚さも手伝って、観光客にとって決して居心地のいい街とは言えません。 

イタリアの財政危機に憂いを唱える若者達のデモ

しかし、折しも時期は金融危機を発端とした世界的不況の真っ直中。 イタリア国内では、ベルルスコーニ首相が退陣したばかりで、汚職事件の醜聞が新聞を賑わし、イタリアの財政状況が危ぶまれていた頃のこと。 もしかしたら、私達が見た気の滅入るようなナポリの姿は今特有のものなのかもしれません。 そう願いたいです。 (多分違うけど。) 正直、自分の意思でナポリに足を運ぶ事はもうないだろうと思わせられたほどガッカリしました。

しかーし!

腐っても(失礼)ナポリだってイタリア。 美食文化は健在です。

アンティパスティの盛り合わせ

もっちもちのナポリピザ

  
世界初のピザレストランと名高い Antica Pizzeria Port'Alba。 1738年から同じ場所でピザを作り続けているんだとか。 ここだけがナポリのハイライトでした。




さらば、ナポリ!




イタリア:ポンペイ
コルフの後の航路は、アドリア海/イオニア海をイタリア半島めがけて突っ切り、シリチア島とイタリア本島の間にあるメッシーナ海峡を通って地中海へ抜けるというコース。


メッシーナ海峡は、場所によっては幅が3kmしかない為、航海に慎重を要する場所です。 こんな狭い場所でイタリアの客船コスタ・コンコルディアのように座礁してしまったら海峡を塞いでしまいかねません。


閑話休題。


次の寄港地はソレント・・・の予定が、急遽ナポリに変更。 景勝地として名高いアマルフィ海岸の玄関口というソレントを訪れるのを楽しみにしていたので、ちょっと残念。

とりあえず、ナポリからだと車で30分ほどしか離れていないポンペイの遺跡ツアーに参加。 ポンペイは、言わずと知れた、およそ2000年前のヴィスヴィオ火山噴火で火砕流に飲み込まれ地中に埋もれた街。 


 
お金持ちの家の跡
 



整然とした石畳


石に深く刻み付けられた轍の跡

石にこれだけ食い込んだということは、それだけ沢山の馬車が通ったということ。 最盛期には2万人が暮らし、飲食店などの店舗も数多くあったというポンペイの街の繁栄ぶりが分かります。

 
街道沿いの店の竃 と 石畳の間にはめ込まれた反射板

街灯もなく夜が暗い時代、月明かりや松明で道が光るように石畳の間に白い石が埋め込まれていました。 夜の街も人けが絶えないほど賑わっていたということでしょう。

 
当時は地中に埋め込まれていた鉛製の水道管が、あちこちにあった共同水場に水を引いていました。

現代技術にも劣らないローマ帝国の上下水道技術によって大量の水道水が使用可能だったポンペイの街。 清掃の為に常に道路に水が流れていたため、市民はこの大きな飛び石の横断歩道を渡って濡れるのを防いでいたそう。 衛生的且つ実用的。


そして、気になったのが、ここにも至る所にわんこがいたこと。


とあるお屋敷跡で出会ったこの2匹は私達のグループが気に入ったらしく、この後ずっとグループと行動を共にしてくれました。 

別に何をねだるわけではなく、只単に側にいるだけ。 ペットのような愛想はなく、かと言って野良のような警戒心もなく。 お屋敷跡にはもう一匹小さなメスがいて、そのコは人に吠えまくっていましたが、それは仔犬を育てていたからで、多分普段は大人しいのだろうと思います。

常にふたりで寄り添って生きているような雰囲気のふたり

調べてみると、野良犬の姿はポンペイの遺跡にここ何十年も見られたものの、2009年からチャリティ団体が軸となり市と協力して野良犬達を保護し始め、マイクロチップと首輪を装着し、名前を与えて里親探しをしていることが分かりました。 ほんの少し前までは野良犬の数はもっと多かったらしいですが、私達が見たのは数頭だったので活動は実を結んでいるようです。

ポンペイの犬達の保護活動団体のリンクはこちら(イタリア語)


 
発掘時に発見された空洞が埋められた人間が腐って出来たものであることに気が付いた考古学者が石膏を流し込んで作った人形(ひとがた)。 毒ガスを吸わないようにしゃがみこんで顔に手をあてたまま息絶えた人、苦悶の形相で息絶えた人、色々です。 ポンペイの街にいた人々が、時速100kmでポンペイに到達したと言われる火砕流から逃れる術はありませんでした。



今現在は噴火活動がないヴェスヴィオ火山を背景に

発掘済みの市街地の外れ

18世紀に始まった発掘作業により6mほどもあった溶岩や堆積土を取り除き、現在では元の街の50%ほどが地表に顔を出しているんだとか。 考古学者の間では残りの50%は後世の為に手付かずで残した方がいいという意見が多いらしく、既に発掘済の箇所が主に研究対象になっているようです。



ギリシャ:コルフ島(ケルキラ島)
アドリア海を更に南下し、次の寄港地はギリシャのコルフ島。 コルフ島もまた500年以上もヴェネチア共和国の統治下にあった歴史を持つ島で、旧市街は世界遺産に登録されています。



 
 
 

ヴェネチア様式の建造物は一部にしか残っておらず、現存する旧市街の建造物の70%が19世紀にイギリスの統治下にあった頃の新古典主義様式だそうで、確かに今までの街のような既視感はなかったかも。 「かも」と言うのは、シーズンオフでほとんどのお店が閉まっていて余り見る所がなかったため、街の一部しか徘徊していないから。 

手入れの行き届いていない建物も多く、街に活気がない時期とギリシャの経済破綻という背景もあって、一大観光都市と言う評判から想像していたのとは随分違うどことなく荒廃した雰囲気を感じたのは気のせいでしょうか。 シーズン中に行ってみたいものです。

 
タコのマリネと子牛料理

とりあえずギリシャ料理は食べました。タコがむっちむち。

 

そしてここにもまた放し飼いワンコ達がゴロゴロいて気になるったら。 道の真ん中で無防備に寝ていたり、街中をダッシュで駆け抜けて行ったり、道端に佇んでいたり、誰かの飼い犬なのか半野良なのか良く分からないコがいっぱい。



港にもゴロゴロ。 痩せ細っているわけではないし、誰かに面倒は見てもらっているのでしょうけれど、目に飼い犬のようなキラキラした光がないので野良なのかもしれません。 頑張って生きろよー。




モンテネグロ:ペラスト&コトル
次の寄港地はモンテネグロ。 険しいフィヨルドに囲まれた景観が印象的なコトル湾に入ります。


モンテネグロにフィヨルドがあるなんて知ってました?? モンテネグロ(Montenegro)とはヴェネチア語で「黒い山」の意で、ヴェネチア共和国の支配下に置かれた中世に付けられた名前です。 アドリア海からコルト湾から入るとすぐに目に入って来る険峻な山々の姿がこの国そのものというわけです。


まずは中世の街並が残る小さな町ペラスト。 人口600名未満でホテル兼レストランが一軒しかない鄙びた町ですが、中世の頃にはヴェネチア共和国の海軍学校を擁し、海軍・海産業の要衝として栄えていたそう。 ヴェネチア共和国の崩壊後衰退の一途を辿り、観光地として活気が出て来たのは極々最近のことなんだとか。 

 

ところどころにある廃墟は、1979年にモンテネグロを襲ったM7の地震の破壊の跡。 未だ再建されていないのは、やっと最近になって政府から復興援助資金が出たからだそうです。 ユーゴスラビアから独立したのは2006年と割と最近のことなので、長く続いた社会主義政権下では制約が多く中々復興もままならなかったよう。 あと数年もすれば、町は完全に元の姿を取り戻すでしょう。

 

ペラストの小さな港から船に乗り、町の対岸にある人口の島へ。 2つある人口の島の一つには修道院、もう一つには「岩礁の聖母」(Lady of the Rocks)と呼ばれる教会があり、教会は見学が許されています(要予約)。 


船乗り達が航海から無事に戻る度に石を投げ入れ島になったと言われる場所に建つ「岩礁の聖母」教会は、小さいながらも信者からの寄進と豪奢な装飾に埋め尽くされていて、いかにも地域の人々に愛されてきたらしい美しい教会です。

 


最近修復されたばかりという教会内部は絢爛豪華


 

ヴェネチア共和国の影響を受けた建築様式が一目瞭然なペラストの町


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お次はコトル旧市街。 船が真向かいの小さな港に停泊していたので、道を渡ったらすぐそこというお手軽さ。 
 
コトルもまたユネスコの世界遺産に登録されている中世の要塞の街です。 4世紀の間ヴェネチア共和国の支配下にあった為、市街の建造物はヴェネチア様式の特徴がありありと見え、今まで訪れた街々の姿とダブってデジャ・ヴュ。 ヴェネチア共和国って本当にアドリア海沿岸に絶大な影響力を有していたのですねぇ。



街の裏は険しい渓谷で守られた天然の砦

 

コトルの街も1979年の震災により大被害を受け、街の半分が被災して100人以上の死傷者が出たそうです。 復興はされているものの、街は全体的になんとなく薄汚れていて、光り輝いていたドブロブニクの後の訪れたせいもあり、なんだか色褪せて見えました。

 

この街もまたわんこにゃんこだらけ

 

ドブロブニクの犬達は飼い主と一緒だったけれど、コトルの犬達は放し飼い。 猫達はドブロブニク同様飼い猫というよりは地域猫っぽかったです。 ドブロブニクの猫達は触れるコも多かったけれど、ここの猫達はもっと警戒心が強かったし。 国や街としての裕福度=余裕度の違いでしょうか。

コトル市街の夜景。 

夜には街を取り囲む城壁がライトアップされるので、コトル市街の大きさが丸わかり。 こんなに小さな街が、数々の侵略や天災や変事を乗り越えて2200年以上もこの地に踏ん張ってきたんですねぇ。



クロアチア:ドブロブニク
次の日に訪れたのは、ここもまた世界遺産に登録されているドブロブニク。 「アドリア海の真珠」と称される、紺碧の海を背景に白壁と赤い煉瓦屋根の街並が光り輝くように美しい、本当に宝石のような街です。 ジブリ映画「魔女の宅急便」の舞台にもなったとか。

1991年にクロアチアやスロベニアが独立宣言をしユーゴスラビアが崩壊した時、モンテネグロ・セルビアによって7ヶ月間包囲攻撃された傷跡もユネスコのガイドランによって忠実に修復され、ほとんどその痕跡をとどめていません。



 

城門をくぐると15世紀の大きな噴水 Onofrio's Fountain があり、昔旅人はまずそこで身を清め街に入ったんだとか。


 
1991年の包囲攻撃の時の生々しい銃撃の跡


 

わんこにゃんこだらけの街

 


 



 



 


 


 

1900mもある城壁は歩くだけで30分ほどかかるし、日射しを遮る場所がほとんどないので夏場は地中海性気候の強い日差しから身を守る工夫が必須かと思いますが、数々の絶景ポイントがあるためドブロブニクでは必訪の場所です。 



アドリア海の珠玉ドブロブニク。 是非また訪れたいと思いました。